ランナーズ賞
2005 RUNNERS AWARD 第18回ランナーズ賞
2005年 第18回ランナーズ賞受賞者
受賞者
22年間連続無休走を達成。「走りに勝るくすりなし」を体現するドクター
佐藤誠之さん
「走りに勝るくすりなし」
この言葉を体現するのが佐藤誠之さん(誠信堂医院・院長、71歳)だ。
郷里である岩手県花泉町にて、今も現役で町医者を続けている。「地域医療に貢献するには、まず自分が健康でなければならない。そのためには適正体重を維持するのが一番」という信念の元に走り始め、1日も休まず走り続ける「年中無休走」はもうすぐ丸23年を迎える。
「1週間休まないで走ろうと思ったのがそもそものきっかけ。それが1カ月続き、半年、1年と続いていったのです。4、5年続くと止めるのがもったいなくなる。私の場合、続けるのは簡単で、止めるのが難しくなった(笑)」
毎朝4時半に起床、5時から約90分走るのが日課。距離にして平均12km、すでに生涯12万km(地球を約3周)を走っている。
寒冷地である岩手では、真冬は零下10℃のなかを走る。吹雪の日は目・鼻・口だけが出るマスクを被って走り、雪が薄く積もったアイスバーンでは何度も転倒した。幸いこれまでに骨折はないものの、走りすぎによる足腰の痛みはイヤというほど経験している。しかし、故障よりも辛いのが二日酔いの朝。お酒が好きでたまに深酒することもあるが、一切を言い訳にせず走ってきた。
もう一つ、健康のために続けているのは「節食」だ。毎食、大まかなカロリーを頭の中で計算している。外食で食べ過ぎてしまったら、翌日の食事を減らしたり、走る距離を延ばして調整する。脇腹の肉をつまんで体脂肪をチェック。 176cm、65kgのランナー体型は20数年変わっていない。
近頃は安全志向の医師や評論家がウォーキングのみを勧めるが、「生活習慣病を予防するにはランニングが一番」と佐藤先生は断言する。
「体脂肪の燃焼や心肺機能の向上には、歩くより走ったほうがいいに決まっている。少々辛い努力を続けなければ、健康の果実はつかめませんよ」
健康で生き抜くために運動と節食は不可欠。理屈は誰でも知っているが、実際に行動を起こせる人が少ないと嘆く。
24年間会長を務める走友会「花泉らんらん」のスローガンは“走れ! すべては解決する”。肥満、高血圧、精神病……ランニングで解決できることはたくさんあり、それを伝えていくことが自らの使命だという。
現在も1日に70~80人の診察を行い、町内にある特別養護老人ホームの嘱託医もしている。休診日でも患者の依頼で診療を行うことが多く、仕事も年中無休の状態だ。70歳が節目と考えていた時期もあるが、もうしばらくは地域医療に従事していくつもりだ。
佐藤 誠之(さとう せいし) 岩手医科大学卒業、1967年に誠信堂医院を開設し、現在に至る。'81年に走友会「花泉らんらん」を創設。'83年には萩原隆先生(第8回ランナーズ賞受賞)らと「日医ジョガーズ連盟」を結成し、東北ブロックの会長に。 |
1日でも長く走る楽しみを感じていたい
田中一さん
「80までは毎日走っていたんだけど、さすがにきつくなってきて(笑)。今は1日おきに走っています」
という田中一さん。話をしているだけではとても90歳を超えているとは思えない快活さだが、昔は胃が弱くてすぐにお腹をこわしたり、立ちくらみも頻発していたそう。
そんな「スポーツとは無縁の仕事人間だった」田中さんが走り始めたのは65歳のとき。年をとっても自分の脚で歩けるように鍛えておこうと思ったのがきっかけだった。
「とりあえず3kmを走る足腰があれば大丈夫だろうと思って始めましたが、最初は1km走るのがやっとでした」
走れる距離が徐々に延び、目標だった3kmを走れるようになったころにはランニングの楽しさを感じるようになっていた。
当時、市民ランナーの数はまだ少なく、Tシャツと短パン姿で練習に出かけるのにも「あの年でマラソンなんか始めて……」と言われていると感じていたそうだが、
「『自分はこれだけ走れた』という満足感が忘れられなくなってしまったんですね(笑)」
その後はどんどん走る距離が延びていき、72歳で初マラソン(河口湖マラソン)に挑戦。
「人が止めるような年齢で走り始めたんだから遅いのは当たり前ですよ」
とは言いつつも、「5時間が切れなくて悔しい思いをしたからまた挑戦してやろうと思った」という翌年の河口湖でマークした4時間45分が自己ベストだ。
ニューヨークシティ・マラソンやロンドンマラソンの海外レースも含め、80歳までに完走したマラソンは10を数える。
そして、90歳を過ぎた今もなお、各地のレースに参加している。その元気の秘訣は何だろうか。
「特にこれといってありませんね。3年前から玄米食にして、飲料水にも気をつけているくらいでしょうか。走ること自体が一番の元気の素だと思っています」
走るようになってから自分の身体のいろいろな部分に気を遣うようになったという。
「さすがに6時間以上かかるようになってフルマラソンには参加しなくなりましたが、もともと運動をしていなかったせいか、タイムはあまり気にしたことはないんです。楽しんで完走したいというのが一番の目標だから。それもいいのかもしれませんね(笑)。いつも支えてくれている走友会のメンバーにも感謝しています」
横浜中央走友会に入ってはや25年。「走り続けてこれたのは皆のおかげ」という田中さん。
今年はそのメンバーとともに、6年振りに挑戦したハーフマラソン(小布施見にマラソン)を3時間40分31秒で完走。
「10km以上のレースに出るのは久しぶりだったので、長く感じましたが、多くの人が応援してくれて楽しかった。ゴール後には握手攻めにあってしまってね(笑)。嬉しかったですよ」
1日でも長く「走る楽しみ」を感じていたいというのが昔から変わらない田中さんの目標だ。
田中 一(たなか はじめ) 1913年、福島県生まれ。就職のために上京し、三菱横浜造船所を定年で退職すると同時に走り始める。68歳で初レースに参加。74歳までは嘱託で仕事を続けながらランニングを継続し、フルマラソン完走は10回を数える。現在は5km~10kmのレースを中心に、年間約10大会に参加している。横浜中央走友会所属。 |
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